SACDいろいろ |
SACDは量子化歪が圧倒的にすくないから、細かい音の解像感がよく、ダイナミックレンジが広く、スピーカーからの音離れも格段にいいもんだと思い込んでいた。
でも何枚か聴いているうちになんか違ぞと思い始めた。
SACDにも「良いな」と思えるものもあれば、「なんじゃこりゃ」と思えるものもある。
これはオーディオ雑誌(オーディオアクセサリー)にも紹介されていた例だが、カールベーム&ベルリンフィルによるブラームス交響曲1番が、同一音源・マスタリング違いで、エソテリック版とユニバーサル版で発売されているが音が全然違うという。読んでなるほどその通りだと思った。
私もこの2枚を間違って両方買って「しまった」と思っていたのだが、記事を見て両方を聴いてみると、なるほど違う。
エソテリック版は全体の音の響きを重視したような、いわば「音場型」。オーディオ雑誌には当時のベルリンフィルの田舎くさい重めで濃い目の響きをしっかり再現しているとの評。なるほど。
対してユニバーサル版は、細部を分解していくような音。だからエソテリック版に比べると音の鮮度感が高く、一音一音を際立たせるような音。音が前面にでてくる。こんな古い録音にもかかわらず。こちらはどちらかといえば「音像型」だ。
どちらがいいかは好みだが、私としては音楽を楽しめたのはエソテリック版の方だった。
ユニバーサル版は、鮮度と解像度は高いが、音がやや細身で高域が耳に刺さる感じなのだ。細身といっても全体に高域よりというわけではなく、低音も十分にでてはいる。周波数レンジが広いというのか、いままであまり聞いたことがない音だ。これがSACDの音なのだろうか。でもちょっと疲れる。
これはベームのブラ1だけの違いではなく、エソテリックSACDとユニバーサルSACD全体について同じ傾向にありそうな雰囲気。まぁ「全体に」と言えるほどにはあまり持ってはいないんだけど。
例えば、エソテリック版のケンペのベートーヴェン交響曲全集、バルビローニのマーラー5番、クライバーのブラームス4番、カラヤンのフィンランディアなどもオーケストラ全体の響きを重視したSACD化になっている。
対してユニバーサル版は、クライバーのベートーヴェン5番7番、カラヤンのチャイコフスキー1番、ベームのモーツアルト40番41番、キョンファのチャイコフスキーバイオリン協奏曲なども鮮度感と解像感重視のいかにもSACDらしい音がする(ベームのモーツァルトとキョンファのチャイコフスキーは多少は落ち着いている気もするが)。
要するにSACD化のコンセプト=リマスタリングのアプローチの違いなのだ。
それぞれのマスタリングの技術者が誰なのかを調べるほどマニアではないが(ジャケットの中にあるのかもしれないが老眼で読むのが辛い)、きっとそうに違いない。
エソテリックというオーディオメーカーが、音楽性を重視した骨太なハイブリッドなSACDを出しているのに対して、音楽レーベルのユニバーサルミュージックが、SHM仕様のハイスペック感を重視したシングルレイヤーSACDを出しているというこのちぐはぐな感じが面白い。
それ以外でも家にあるSACDは鮮度感重視のユニバーサル型が多いと思う。マルチで入っているフィッシャーのモーツアルトバイオリン協奏曲も高域はきつい。ジンマンのマーラー交響曲全集も同様。
EMIの名盤復刻シリーズは4人のエンジニアがリマスタリングを行ったらしいが、デュプレのチェロソナタでほぼ同時期に録音されたものでも、ディスク(リマスタリング作業)によって、エソテリックよりのものとユニバーサルよりのものと色々ある感じだ。
さて困った。
これら「SACDらしさ」を強調したディスクだったら、いままでのCDの方がよほどいい音で聴きやすく感じるのだ。
SACDプレーヤーでアップコンバートされてDA変換されたCDの音も全然棄てたもんじゃないじゃん、というのがSACDを聴いた後の実感だ。
SACDの復権は嬉しいが、価格も考えればまだまだ特殊メディア。
それにリマスタリング次第で音が全然違ってきてしまうとすれば、当たり外れが大きくて、同一音源のCDからの買い替えも慎重になる。
対して安価で手に入れやすくなったCDが、実はとても高音質なメディアだったことを再発できたのが収穫だった。
写真:2つの「1959録音 カールベーム指揮ベルリンフィル ブラームス交響曲1番」
2012年4月21日 ニコンD800E AF Zoom Nikkor 24-120 F3.5-5.6
f8 1/125 ISO500(オート)