クテマの第一印象 |
まだまだ十分聞きこんだわけではないが、だからこその新鮮な第一印象を記しておきたい。
「脱オーディオ」
これが第一印象の結論。
クテマの音は、きわめて普通の音なのだ。
音場が横に「すごく広がる」訳でもないし、だからといって「すごく奥行がある」わけでもない。
音そのものは欧州型スピーカーの例にもれず、クテマの後ろ側に普通に広がっている。音がこっちに来ることはない。
オーケストラの各パートの楽器の音も、「すごくシャープに分離」して聴こえるということはなく、むしろちょっと輪郭が滲んでいるようにも聴こえる。
もちろんソナスファベールGPHと比較すれば、高音は伸びているのに耳に優しいし、低音もすごく伸びているから、音そのものはとても美しいし迫力もある。
でもこれがクテマの音なのか…と肩透かしをくったような気分で聴いていて、ふとあることに気がついた。
自分は「450万円のハイエンドオーディオスピーカー」としての音を期待しているんじゃないか。
だから「オーディオ」を忘れて、「音楽」に集中してみると…
印象が一変!
クテマの音の「普通さ」は、オーケストラホールで生演奏を聴いた時の印象に似ているのだ。
ホールで「オーディオ的なすごい音」を体験することは稀だろう。各奏者の音は適度にブレンドされて聴こえるだろう。
適度な低音と決して耳に刺さることのない美しい高音と…、これってクテマの音そのものじゃないか。
誤解のないようにフォローもするが、オーディオ的に聴こうとすれば、もちろんそれにも応えてくれるはずだ。
輪郭が曖昧な音といっても、オーケストラの各パートはちゃんと分離して聴こえるし、柔らかい高域はバイオリンパートのプルトの数すらわかりそうなほどの繊細さだ。
ソナスGPHではついぞ聴くことができなかったあるJPOPのCDのボーカルの小さな息遣いや繊細なビブラートなどもちゃんと聴こえてくる。だから解像度や分解能(この辺の定義はよくわからないのだが)も良いのだろう。
ただそういうことを「どうだすごいだろう」とこれみよがしに誇らないのだ。
クテマはそんな「オーディオ的な虫眼鏡で細部をのぞき見するような聴き方なんかどうでもいい」という気にさせられる。
フランコセルブリンが「ハイエンドオーディオ」のカテゴリーでスピーカーを詰めていったら、「オーディオ」を超えたところに行きついてしまった、というそんな感じだ。
だからこそものすごく個性的だし、人によって合う合わないも激しくあるだろう。
母体のソナスファベールが新体制の下で、物理特性の優れた高性能な普遍的なハイエンドオーディオスピーカー造りをしているのとは間逆な方向。
フランコが大企業ソナスを離れて、別の意味の「普遍」を目指したことがクテマを聴くとよくわかる。
(クテマの写真は後でアップロードします)