ペテン師の、“金の口”に騙されて。Goldmund |
プリメインアンプtelos390.2の音だけを頼りに、自分にはゴールドムンドしかないと思い込んで、試聴もせずにこの超高額なアンプを導入してしまった。
無謀であるが、無謀でなければ買えない商品なのだ。
マニュアルによれば「長いスピーカーケーブルはノイズを拾いやすいのでできるだけ短くせよ」とある。なのでセッティングとしてはスピーカー直下にtelos350を置くのが理想となる。
モノブロックに憧れてきた私としては、ヴィオラforteやアキュフェーズA46の試聴の際には迷うことなくそうしたのだが、いざそうしてみると、スピーカーの間にアンプがあるのはどうにも目障りで嫌だった。
なので手元のクアドラスパイアのツインラックの最下段左右に2台のtelos350を押し込んで、いままでtelos390.2で使用してきた5mくらいのスピーカーケーブルをそのまま流用してクテマと接続。
telos390.2はプリアンプとして使用(結構多機能なのだ)し、telos350と1mのRCAアナログケーブルで接続。
早く音が聴きたかったので、電源つないで即音だしをする。
うふふふふ。思わず笑みがこぼれる。
予想通りの美音だ!
冷えている状態でも聴きなれたtelos390.2よりも音の厚みや迫力が桁違いなのが分かる。にもかかわらずしなやかなのだ。
でも音の傾向そのものは同質なのだ。中高域にキラキラとした艶がある個性的な音。癖がある音。
ヴィオラのようなたぶん正しい音(だから使いこなしていけばポテンシャルは大きいのだろうが)とは違う、虚構の音。
ペテン師の、“金の口”に騙されていることは百も承知。
承知していながらも抗いがたい麻薬の音。
ストラディバリに取り憑かれた千住真理子の「ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集“四季”」の邪悪な響きが、telos350を通すと美しく響く。telos390.2でもViolaでもアキュフェーズでも不快感しかのこらなかったCD(amazonじゃ評判いいんだけどね)なのだが。
家内は捨てようとまでしていたディスクだが、telos350がその邪悪な呪いを解放してくれた。
ヨドバシ.comから届いたばかりのユニバーサルSHM-SACDのショルティ・シカゴ響のマーラー5番を聴いてみる。
おお!これまで聴いたことがないような迫力、色彩豊かな音色。マーラーの交響曲を聴くとはこういうことか!ともう狂喜乱舞状態。
次々とCDやSACDをかけては、艶々しながらも分厚い音に驚きつつうっとりする。
うふふふふ。このディスク、こんな音だったっけみたいな。
でも、ちょっと違和感のあるディスクもあるにはあった。
ユリアフィッシャーのモーツアルトバイオリン協奏曲SACDは迫力ありすぎ。
もっとチャーミングに鳴って欲しい。
でもクレーメルとウィーンフィルの同曲のCDだと良い感じだったので、多分に「このディスクはこうあって欲しい」という私の勝手な期待があるのだろう。
女性ボーカル(声の美しいアコースティック系のもの)ものもちょっと迫力ありすぎかなと思うものが多かった。
でもユーミンなんかは良い具合だったなぁ(笑)。
可憐なものは、プリメインのtelos390.2の方がチャーミングにクテマを鳴らしてくれる。
だからtelos350と390.2は、ディスクによって使い分けられれば、と思うくらいだ。
そんなこんなであっという間に時間が過ぎていく。
適当にセッティングしただけなのに、ここまで私のツボをおさえてくるとは、流石ペテン師、スイスの空気。
そして日曜日の夜に、エソテリックレーベルSACDのクーべリックとバイエルン放送交響楽団のモーツアルト交響曲第35番をやや小音量でゆったりと聴きながら、なんともいえない至福な気分につつまれたのだった。
とはいえ、これでほぼ無一文。
プリアンプとSACDプレーヤーはどうすればいいのか。
(今週末にミメイシス27.8が自宅試聴用にやってくるが、ME27.3以降は手抜きモデルとして評判が悪い。27.8になってどれほど良くなったのか。単にAlize6のDAコンバーターが搭載されただけなのか。telos390.2のプリ部以上の価値があるかどうか、これはこれで楽しみであるのだが)。